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「不格好経営」を読んで

nanba

南場さんの本「不格好経営」を読んだ。
面白くて一気に読み干した。

南場さんの文章は、ブログの時から好きで、独特のテンポがあっておもしろい。
それまで、勝手に硬くて怖い印象を持っていたが、ブログを読んでずいぶんと変わったのを覚えている。

南場さんが起業されてからの時代背景も自分と重なる所が多く、余計に感情移入してしまったのかもしれない。

もちろん比較すること自体恐れ多いことではあるが、当時を懐かしく思い出しつつ、同じような局面での動き方の違いなど、自分を見つめ直す良い機会を頂けたと思う。

せっかくなので、備忘録として自分の経緯も残してみようかと。

1 はじまり

DeNAが有限会社として設立されたのは1999年3月。同じ頃、自分は静岡でフリーランスのデザイナーをしていた。その時のクライアントにアクトクリエイションという会社があった。

アクトは、それまで全然別の事業を行っていたが、1997年に楽天市場が開始されると、社長のNさんが興味をもち、直ぐに連絡をしてネットショップを開くことに。
もちろん、まったくの素人が店を開くので何度も楽天に問い合わせをする。楽天側も当時は13店舗しかない本当にスタートしたばかりの状態なので、丁寧に対応してくれていた。

そんなこともありNさんは楽天の三木谷社長をはじめコアなメンバーと顔なじみの仲になることがてきた。そして、そのまま楽天の代理店となる。
楽天と一緒に店を開拓し、100店舗達成のときは一緒にお祝いをしたそうだ。

楽天の成長を横目で見ていたそNさんはネットビジネスの可能性を強く感じ、自らプレイヤーになることを目指して動き出す。

自分はその当時はまだ外注先の一人でしかなかった。
たまにサイト制作やバナー作成の依頼などを受けていたが、急に電話がかかり今までにない声のトーンで呼び出された。

2 新サービスの立ち上げ

1999年5月、アクトでは新サービスの立ち上げ準備をしていた。

何となく話はきいていたが、詳しい内容を聞いたのはその時がはじめて。しかも、メインのデザイナーと喧嘩をしてプロジェクトが止まってしまっているという。

いきなりNさんが、

「服部くん代わりにやってくれないか」

の一言。

当時、いくつかのサイトは構築していたが大規模なサイトの経験などはなく、個人で仕事をしていたのて、チームで動いたり外注を使うことなど考えたこともない。

特に仕事に困っていた訳でもなかったので、正直悩んだ。

結果的に受けることにしたのだか、決めてはビジネスの可能性。
デザインやサイト制作よりも、そのときにきかされたビジネスモデルにとても興味がわき、ネットビジネスをやってみたくなった。

サービス名は「リブラ」
商品比較サイトである。

海外ではコンペアネットというサイトがあり、同様のサイトを日本で立ち上げてみたいと。
それだけだと対して面白みがないが、ビジネスモデルを聞くといかにもネットビジネスっぽくて可能性を感じた。

当時、ネットで商品を買うときはすでに価格コムを見るのが定番になっていた。
自分も¥CORE PRICE¥(コアプライス)時代からよく利用していた。
とても便利なサイトではあるが、これは既に欲しい商品が決まっていて、いかに安く買うかを調べるプライスの比較サイトである。

対して、リブラは、購入の検討段階で複数の商品のスペックを比較することができる。
大きさ、重さ、性能などあらゆるスペックで検索することができ、比較表で一覧に見ることができた。
購入の際には参考になるサイトだが、ビジネスモデルは裏側にあった。
それは、比較検討しているログを取得すること。

販売店などで売れたデータとしてPOSデータというものがある。
これは、レジのデータから何が何台売れたのかを集計できるもの。全国のデータをみれば何が売れているのかよく知ることができる。
リブラでは、このPOSデータでは絶対に取れない新しいデータを取ろうとしていた。
それは、購入前にどの商品と比較されたのか。比較したポイントはどこだったのか。
結果、どれが買われてどれが買われなかったのか。
ネットの購買に限られるが、リアルタイムにこれらのデータを取得することができる。
マーケティングのことはよくわからなかったが、きっとこのデータを欲しい人がいるのだろうと感じた。

これらを把握した上でリブラの構築に加わることとなる。

まずは、デザイナーとの引き継ぎ。
途中までできているデザインを見せてもらい、全体の仕様を確認する。
引き継ぎは挨拶程度だったので、結局手探りの作業が続く。7月にはオープンさせるために残されている時間は2ヶ月を切っていた。

プログラム開発とサーバ運用は浜松のシーポイントが担当。
毎日のように電話とメールで仕様を確認する。

できている機能などを見ていると、比較サイトとして使うことはできるが、あのビジネスモデルを実現させるために必要なものがいくつも欠落している。
プログラムの知識などほとんどなかったが、感はいいほうなので、問題箇所をいくつも指摘し仕様を作り直す。

要件定義、仕様作成などもはじめての経験だか、ほかにやるものはいなく、時間もない。
デザインも一からやり直し。
スペック比較だけでなく購買の参考になるコンテンツも集めなければならない。

最初は、車、家電、パソコンのカテゴリからスタートするため、それらの記事がかけるライターさんを収集。車は八重洲出版のドライバーと提携。
毎月定期的にコンテンツを掲載できるようになった。

それらよりももっと大事な作業がある。
スペック比較をするには当然スペックが必要。今ならデータも整備されてたりAPIが公開されてたりするが、当時は当然そんなものはない。
一からすべての商品のカタログを集め、一つずつ登録をする。
車、家電、パソコンたけでも数千商品はある。

気の遠くなりそうな作業だが、アクトにはパワフルな姉御が二人いた。
一人は元々データ入力を請け負う仕事を個人で行っており、必要があれば人を集めることもできる。
もう一人は、今もよく飲みに行く居酒屋の女将。
二人とも仕事はもちろんできるが、夜はさらにパワフル。呑みだしたら止まらないw
この二人がいたからきつい時も笑ってやり切ることがてきたと思う。

それでも時間は全然足りなく、結局、オープンは一月遅れでスタートすることとなった。

libra_1
(オープン当初のリブラ、今見るとかなり恥ずかしい。。。)

3 サービス開始

サイトが公開され、リリースが記事となってニュースサイトや新聞に掲載されていく。
ログテータも記録されはじる。

ビジネスはこれからだが、この時が一番達成感を味わえたかもしれない。

カテゴリも順調に増えていった。

libra_2
トップページに毎月のように新しいカテゴリが追加されていく。

さて、ここからがスタートである。
マーケティングに使えるデータとするにはそれなりの量が必要になる。
このころよく言われていたが、オセロになぞられて四隅を取る提携戦略を進める。
リブラにとっての四隅は、

・圧倒的な利用者を集めるためにポータルとの提携
・比較後の購入データまで取得するためのコマースとの提携
・ログテータからマーケティングデータにするための専門家との提携
・そして、ログテータを販売するための代理店との提携

ポータルはいくつも話をし、具体的に連携することもできた。

asp

コマースは以前からつながりのある楽天との交渉。
これが結果的には一番の、ネックとなる。

マーケティングは、広告代理店や調査会社と話を進める

データ販売はPOSデータを扱っていた外資会社と交渉。

もちろん、ほかにもたくさんの会社と話をさせてもらいながら、なんとなく枠組みが見えてきた。

スタッフもどんどんと増えて行った。
最初はマンションの一室で五人でスタート。

数ヶ月後には斜向かいにある雑居ビルに引っ越す。建物は古いが広さは3倍くらいになった。

次々と新しいメンバーも入ってきた。

4 出資

会社の資金も徐々に増えていった。
まずはNさんのエンジェルからの出資。
そのか中には楽天の三木谷さんが夫婦で出資してくれていた。
ほかにも何名もNさんに期待して出資をしてくれる。

スタッフからの出資もはじめる。
そのころ、自分も他の仕事にさける時間もないためアクトに専念こととする。
学歴もキャリアもない自分を取締役として声をかけて頂いた。ここまでの取り組みを評価して頂いたようで嬉しかった。
個人で出資もした。自分が興味を持ったビジネスモデルの成功を願った。

2001年4月、リブラのサイトリニューアルとマーケティングデータ販売の為のリブラリサーチの公開。

libra_3

デザインは、カテゴリが増えても見やすくなるように調整。
フレーム使っているあたりが時代を感じる。。。

リブラリサーチは新設サイト。

libra_5

本格的なマーケティングデータはまだまだ先だが、まずは内部でログデータから読み取れるものを毎週公開していくことに。

並行して、キャピタルからの出資を仰ぐ。
1億円が集まった。
3分の一が広告費としてあっという間に消えて行った。
アクセスは増えたが資金繰りは厳しい。

マーケティングデータ販売までは、まだまだ時間がかかる。
当然、収益がないのて毎月赤字が膨らむ。

楽天との交渉もなかなか進まない。

提携からは二つの条件を出されていた。

・資本提携が必要
・楽天が50%以上取得する

まあ、子会社になれということだが、この条件は簡単には受け入れることができない。
交渉は平行線のまま時間だけがすぎて行く。

無論、資金は 減る一方。
この交渉は時間をかけるほど楽天が有利である。

資金ショート寸前で楽天側の要望を全面的に受け入れた。
対抗条件としては、
・楽天とのシステム連携
・購買データの利用
・データ販売が開始される向こう2年間は資金的な援助をする
という約束事を決めた。

結果、楽天はエンジェルの株式を買い上げるとともに出資を実施することに。

2001年12月、エンジェルが所有する株式を7,000万円で楽天が取得。
2001年12月 楽天に商品比較コンテンツを提供開始
2002年2月、新株を7,000万円で楽天が取得し持株比率を50%超となり子会社化。
2002年3月、サイトリニューアル。

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(最終的なリブラのデザイン)

5 大どんでん返し

楽天との資本業務提携が締結し、楽天の子会社となった。
ようやくここまでこれたと思った。

でも、思惑とは逆の方向に。

利益が出ていないので、まずは、その経営責任を追求される。
自分が出資した株式の50%を減資した。
(正確には、2月の楽天出資の直前に)

システム連携の話では、購買データの提供に難色を示される。
スペック比較機能は楽天のシステムに連携できていたが、肝心の購買までデータが取れない。
マーケティング会社から話が違うと、今後の販売計画も進まない。
しばらくすれば資金も底を突く。

2002年7月、追加の投資なり融資の相談をする。
知らない外人が出てきた。
今月取締役になったばかりのチャールズ・バクスター氏。
英語なのでもちろん話の内容はわからない。
訳してもらうと、

「現状の経営体質をみて、追加の資金援助は凍結」

。。。

何が何だかわからない。
バッサリ切り捨てられたようだ。

後日、三木谷さんに直談判。
目線を合わそうとしない。
経営方針が変わり、既に決まったことだという。

何かが崩れていく音が聞こえた気がした。

楽天を出て、玄関前で取締役3人でしばらく話をする。
Nさんはそのまま三木谷さんの出待ちをすることに。

数時間後、再び会えたらしいが、結果は変わらず。

楽天が融資も含め総額2億円を注ぎこんだ会社を、半年足らずで見切り捨ててしまった。

それまで、短期間にいくつものベンチャーに投資を行ってきた楽天が、この一件を含め子会社の整理に動き始めた。

経営権のある親会社の意向は覆ることができない。
他に頼ることもできず、いきなり利益を出すことなどできるわけもなく、ただただ終わりが訪れたことを受け入れるしかなかった。

翌日、スタッフを一人づつ呼び出し、今月で会社がなくなることを伝えた。
今でもこの時の悔しさや申し訳ない気持ちは忘れることができない。

結局、引き継ぎや整理があるため翌月の8/31付で全員解雇とした。

6 清算

2002年8月、引き継ぎのため、楽天にも何度となく足を運ぶ。
サービスの運営には楽天の若いスタッフの数名が担当となったが、一度の説明でほぼ理解してくれ、あっけなく引き継ぎが終わった。さすがに頭のいい若者がそろっている。

システムも苦労することなく渡すことができた。
後に知るとことなるが、グリーの田中さんと話をする機会があり、楽天との関係の話しをすると、その時のシステムを引き継いだのが田中さんだったらしい。
どうりでスムーズに進んだはずだ。

9月に入り、スタッフはみんなバラバラとなるが、まだやることは残っている。
会社清算のための臨時株主総会の開催。
出資頂いていたキャピタルの担当者が一堂に揃い、皆の前で頭を下げる。
よくテレビのニュースで見るような光景に自分が立たされていることが不思議だったが、ただただ期待に応えられず最悪の結果となってしまったことが申し訳な、く頭を下げることしかできない。

総会の仕切りは楽天側が行ったため大きな問題もなく気がつけば終わっていた。

最後に

それから一ヶ月くらい、仕事はせず、ネットもあまり繋ぐことなく、毎日長男と遊んでいた。
それまで、あまりかまってあげられなかったが、時間をかけて接することができ、知らぬ間にずいぶんと成長していたことに驚く。

南場さんの本の中に、退職者が青春という表現をしていたが、まさにそんな感じだった。

いまでも、その時の仲間とは繋がっているし、それは今後も続くと思う。
大切な財産がちゃんと残っている。

※記憶に曖昧な点があるので、時期や内容などはあてになりません
 だいぶ変わっているかも。。。

備考

昔の資料を見ていたら、リブラの検索・比較の流れがあったのでこれも残しておこうかと。

libra_6

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